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元男子バレーボール日本代表監督 植田辰哉 うえだたつや
おすすめポイント
低迷していた全日本男子バレーボールチームを、16年ぶりにオリンピックへ導くという驚異のV字回復を成し遂げた植田さん。 緻密な戦略と実践的リーダーシップによって結果を出す組織へと改革を進める様は、勝てるリーダーとして際立ちます。 植田さんのマネジメント・コーチング・リーダーシップは、卓越した組織マネジメントとなり、全てのリーダーとなる人へのお手本となることでしょう。 ビジョンをもって取り組む姿勢や、戦うチームに鍛え上げた過程を通じ、発展的なチームマネジメントとしてのヒントをお届けします。
主な研修・講演テーマ
- 最高のパフォーマンスを発揮する組織マネジメント
- 自分で限界を決めるな 夢は必ずかなう
キーワード
講師費目安
- A10万円以上~30万円未満
B30万円以上~50万円未満
C50万円以上~80万円未満 - D80万円以上~100万円未満
E100万円以上~120万円未満
F120万円以上~ - G非公開(応相談)
※日程などにより変動がありますので、詳細はお問合せください。
プロフィール
大学卒業後、新日本製鐵(現、堺ブレイザーズ)に入社。日本リーグ(現、Vリーグ)ではセンタープレイヤーとして、新人賞、ベスト6(5年連続)、ブロック賞、スパイク賞など数々のタイトルを獲得。日本代表としても活躍し、1992年のバルセロナオリンピックには主将として出場。6位入賞に大きく貢献した。
現役引退後は、新日鐵、日本代表ジュニアチームの監督を歴任し、2005年に日本代表監督に就任。オリンピック出場を果たすため、非常に厳しい指導を続け、低迷を続けていた日本代表をフィジカル面、メンタル面ともに鍛え上げ、戦う集団へと変えていった。
2008年、北京オリンピック世界最終予選を見事に突破。自身が出場したバルセロナ以来、16年ぶりに日本代表をオリンピック出場を勝ち取った。出場権を獲得した瞬間には、コートに倒れこみ、男泣きした姿は日本中に大きな感動を与えた。
熱血指導の一方では、目標を達成するための緻密な計画も立てるなど、卓越した組織マネジメント力を持ち、企業からの講演依頼も多数寄せられる。
現在は、日本バレーボール協会発掘育成委員会委員、大阪商業大学教授。
主な競技歴
主な競技歴1989年 アジア選手権大会準優勝、ワールドカップ 6位
1991年 アジア選手権大会優勝、ワールドカップ 4位
1992年 バルセロナオリンピック 6位
◎受賞歴
日本リーグ新人賞 1987年
日本リーグベスト6 1988~1992年 ※5年連続受賞
日本リーグブロック賞 1990、1993年
日本リーグスパイク賞 1991、1992、1994年
Vリーグ栄誉賞 2007年
監督歴
1999~2002年 新日鐵(現・堺ブレイザーズ)
2003~2004年 ジュニア男子日本代表
2005~2013年 全日本男子代表 ※2004年に暫定監督就任
◎全日本代表監督での主な戦績
2005年 アジア選手権 優勝
2006年 世界選手権 ベスト8
2007年 アジア選手権 準優勝、ワールドカップ9位
2008年 北京オリンピック世界最終予選兼アジア大陸予選2位(出場権獲得)
北京オリンピック ※16年ぶりのオリンピック出場
2009年 世界選手権アジア予選 1位
アジア選手権 優勝
ワールドグランドチャンピオンズカップ 3位(銅メダル)
※全日本男子の国際大会では32年ぶりのメダル獲得
2010年 アジア競技大会 優勝 ※16年ぶりの金メダル獲得
その他講演テーマ詳細
最高のパフォーマンスを発揮する組織マネジメント
バレー関係者の驚いた男子バレーの北京五輪出場。選手のモチベーションを支えたキーワードは「オリンピックに出れば人生が変わる」だった。凄まじい量の練習や、日本代表としての誇りを持つことを選手に要求するなど、強烈なリーダーシップで日本代表をフィジカル、メンタル面共に鍛え上げ、戦う集団へと変えていった。また理論派でも知られ、チームが目標を達成するまでのプロセスを明確にするなど、選手・スタッフ全員が同じ方向に向かって進むことに注力した。スポーツ指導者のみならず、人を導く人すべてに知って欲しい植田流の組織マネジメント論をお伝えします。
自分で限界を決めるな 夢は必ずかなう
著書
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